「青島ビーチパーク」の仕掛け人、宮原秀雄が実践する次代のライフスタイル

2017.7.11

いまや日本を代表するビーチカルチャー発信地となった「青島ビーチパーク」。青島ビーチパークの仕掛け人、宮原秀雄さんのライフスタイルを通して時代の変化に呼応した新しいライフスタイル・働き方をお伝えする。

物資的な豊かさを求めていた20世紀から、精神的な豊かさを求めるようになった21世紀。

いま、モノではなく、感覚・感性を刺激する体験に価値が見出される時代になりつつある。

コミュニティの新しいカタチ「青島ビーチパーク」

2015年宮崎県青島にオープンした「青島ビーチパーク」

ビーチ沿いにはおしゃれな店が立ち並び、まるで海外のリゾートのような雰囲気を味わえると話題になっている場所だ。


提供 AOSHIMA BEACH PARK

2016年の来場者数は、当初予想の6万人を遥かに上回る13万9000人に達し、いまや日本を代表するビーチカルチャーの発信地に生まれ変わった。


提供 AOSHIMA BEACH PARK

人口減少、少子高齢化で観光・海水浴客が減少している地方が多いなか、なぜ青島ビーチパークは多くの人びとを魅了できるのか。

その理由は、青島ビーチパークが感覚・感性を刺激するユニークな空間であり、人びとが求める体験価値を生み出しているからだろう。

このような独自性や体験価値を生み出した人物こそ青島ビーチパークの仕掛け人、宮原秀雄さんだ。

東京で17年間勤めた大手広告代理店を退職し、2015年1月に宮崎に移住。移住準備のタイミングで知人を通じて宮崎市から相談を受け、公募に応募、のちに青島ビーチパークの統括ディレクターに就任した。

青島ビーチパークの盛況を受け、多くのメディアから取材依頼が殺到しているが、ブランディングのプロとして、全ての取材を受けるわけではない。

受ける基準は、青島ビーチパークを含めた自身のスタイルを的確に発信できるかどうか。

青島ビーチパークや自身のライフスタイルを通してどのようなことを表現しようとしているのか。

CATALYST取材班は宮崎を訪れ、宮原さんに話を聞くことができた。

彼の過去から現在に至るストーリー、そして思い描いている未来から時代の変化に呼応した新しいライフスタイル・働き方の1つの形が見えてきた。

大手広告代理店辞め、ビーチパークプロデュースに参画 

—宮原さんはどのようなきっかけで青島ビーチパークプロジェクトに携わるようになったのですか。

東京から宮崎に引っ越したのは「青島ビーチパークの仕事があるからでしょ」って、よく周りから言われるんですけど、実はぜんぜん違うんですよ。

2014年の春に17年間勤めた博報堂を辞めて、移住先を探しているとき、それまでサーフトリップで年1~2回訪れていた宮崎がいいなと思って。

ちょうどその頃、宮崎市で青島を再度盛り上げるための構想も持ち上がっていて、ぼくの宮崎移住を知った知人経由で宮崎市の方から手伝ってほしいとオファーをもらったんです。

博報堂では営業をやっていて、クライアントさんのブランドプロデュースを手がけていたので、適役ということで声をかけてもらった感じです。

それで2年前に家族で宮崎に移住して、ビーチパークプロデュースに本格的に取り組むようになりました。

10年前までの青島は、毎年20万人くらいの海水浴客が来る活気あふれる場所だったんですよ。

ただ、その後は数万人まで減って、海の家も海水浴客の減少とともになくなってしまったんです。

この状況をどうにかしたい、どうせやるならよくある海の家ではなくて、人びとが集まる「ビーチコミュニティ」をつくりたいと思ったわけです。

イメージするコミュニティづくりの原点

—宮原さんがコミュニティづくりを考える上で身近にそういった場所があったのですか?

そうですね。

東京で働いていたとき、千葉の一宮町に家を借りて週末はサーフィンをするデュアルライフを5〜6年くらいやっていたんです。

そのとき、しんちゃん(波乗不動産代表、佐々木真さん)に波乗不動産の奥にあるポレポレというオーベルジュのことを教えてもらって。

ここがぼくにとって身近な場所でした。

今は休業中なんですが、当時はご夫婦で経営されていて、DIYでつくった宿に3〜4部屋くらいあって、フレンチも楽しめる。

すごく大きな庭におしゃれな平屋の建物があって、デッキに、テラスもある。

これいいな、こういうのをやりたいなと。

そこはオーベルジュだったけど、子供が学べたり、大人が遊べたり、ものを売っていたり、そういう要素も取り入れたコミュニティを自分でつくりたいなと考えるようになったんです。そこにタイミングよく青島の話が持ち上がって。

—宮原さんが「コミュニティ」に重きを置く理由は?

居心地の良い空間に自身も身を置きたいと考えているからですね。そういう空間がなければ自分でつくっちゃおうと。

どうせつくるなら自分自身がただ居心地が良いだけじゃなくて、周りのみんなにもそう感じてほしいし、それがコミュニティづくりの根底にあります。

—コミュニティづくりという意味では青島ビーチパークは多くのひとが集う場所になったので成功といえますね。今後、どのような展開を考えていますか?

たしかに、これだけ多くのひとに来てもらえる場所になったのはすごくうれしいことですね。

今後は、こういう点(場所)をたくさんつくって、それを線で結び、その線を面にしていきたいと思っています。

—青島ビーチパークのようなコミュニティをたくさんつくっていく。

そうですね。

まずは宮崎にこういった場所やコミュニティがたくさんできるきっかけづくりをしていきたいですね。

ただ、ぼくだけがやるのではなく、たくさんのひとを巻き込んで宮崎以外にも多くの場所に増やしていきたいです。

千葉の一宮町では、しんちゃんがビーチコミュニティづくりをしているし、オーストラリアのバイロンベイやゴールドコーストの友人も現地でそういう取り組みをしている。


カリフォルニア ヴェニスビーチ


ロサンゼルス マンハッタンビーチ

直近だと先月、和歌山と徳島に行ったんです。

和歌山には新しいコミュニティーづくりをしたいと考えている仲間が、徳島にはサーフを中心としたコミュニティーづくりをしている仲間たちがいて。

そこで出会った人たちと何かしたいよねという話も出始めている。

国内外いろんな場所でそれぞれのスタイルでコミュニティづくりをしている仲間たちとこれからシンクロしていきたいなと思っています。

—どんどんつながって国内外関係なくコミュニティができてくる。

そういうおもしろいひとたちがつながっていくと新しいムーブメント・イノベーションが起きる。

定住ではない暮らし方 家族のライフスタイルにマッチした場所へ 

—これからも宮崎を拠点に活動していく予定なんですか?

うーん。将来のことはわからないんですよね(笑)ぼくたちが東京を離れたように。

娘がもうすぐ3歳になることもあって今後の子育て環境も含め、どこか今ベストな場所なのか、いつも考えてますね。

それは宮崎かもしれないし、宮崎ではないかもしれない。もしかすると海外かもしれない。国内外限らず、考えています。

—子育ての環境も含めた居住所探しということですが、それ以外に何かポイントは?

家族みんなのライフスタイルがマッチすることが重要ですね。ぼくだとサーフィンをするから宮崎のようなビーチに近い場所がいいですし、奥さんは都会と自然のバランスが良い場所。

ちょうどこの前、視察も兼ねて家族でオーストラリアに行って、向こうにサーフィン仲間もいるので、バイロンベイ、シドニー、ゴールドコーストを周ってきたんですよ。

いま奥さんはシドニー熱が高いですね。この前までは、LA(ロサンゼルス)だったんだけど(笑)

あと重要なのは、彼女もぼくもその場所で仕事を生み出せるかどうか。いまこうしたことを吟味して探しています。

—定住が多くの人にとって当たり前のライフスタイルですが、宮原家はフットワークが軽いですね。

そうですね。一度、東京を離れるとどこも同じになりますね。

東京を離れるのが一番体力いるじゃないですか。

東京というハイクオリティなところで暮らしていると、なかなか離れるのが難しい。

でも一回東京を離れるとどこも同じになって、東京を離れるほどの体力を使わないのでフットワークも軽くなりますよ。

一昨年、代官山で佐々木俊尚さんとお会いする機会があって、そのとき俊尚さんが「今度3拠点生活することになったんだよね」と言っていて。

「2拠点も3拠点も同じ。定住する意味はないよね」と俊尚さんに言われて、ぼくもその言葉にすごく共感したんですよ。たしかにいまの時代、定住だけに縛られたり・こだわる必要はないなと。

どこに住んでも「住めば都」。住めば初めて知ること・触れることがたくさんあって、ああしたい、こうしたい、というのが必ず出てくる。

ぼくの場合、サーフィンでいろんなひととつながって、サーフィンがいろんなまちとの接点をつくってくれる。カリフォルニア、ゴールドコースト、カウアイ島とかに興味がでて、そのまちに行って、カルチャーを感じて、刺激される。

それで、これまでに出会ったいろんなひとたちを巻き込んで、オリジナルなスタイルをつくっていく。こういうゼロからイチをつくりだしていくことが本当に楽しいんですよ。

宮原秀雄のこれから 宮崎から居心地の良いコーストラインを

—青島ビーチパークのプロジェクト以外にはどんな活動を?

最近だと、株式会社ONESTORYさんが手がける『DINING OUT』というイベントでコーディネーターをしました。

『DINING OUT』とは、日本のどこかで数日限り開催されるプレミアムな野外レストランなんですが、その記念すべき10回目が5月27日・28日の2夜限定で、宮崎で行われたんです。

開催場所の選定から食材探し、地元チームで制作したムービーのプロデュースなどを中心に、開催決定前から双方の翻訳者として動いてました。

ぼくが博報堂にいるときから「DINING OUT」のことは知っていて、移住したらその地で「DINING OUT」をやりたいなあ、と思ってたんです。

それが移住3年目にして叶いました。

そもそもONESTORYの代表が博報堂時代の先輩、現場責任者は後輩なんです。前職の方々とこの地で一緒に仕事を興せたのは、本当に嬉しいですね。


プロデュース動画

—こんなステキな空間が青島に生まれていたのですね。場所の装飾から食事までこだわりぬいてますね。

ONESTORYさんの総合プロデュースやシェフチームの力はもちろんなのですが、今回関わってくれた地元の皆さん、生産者・キッチン・サービス・宮崎市役所関係者のおかげだと思ってます。そしてそれもこれも、この宮崎という地の高いポテンシャルあってだと思います。

—今後の活動は?

これからの話でいうと宮崎市には、青島とは別に一ツ葉というビーチがあるんですがそこでカリフォルニアスタイルをコンセプトにした「THE BEACH BURGER HOUSE」が7月15日にオープンするんです。そのプロジェクトの統括ディレクションをしています。

プロジェクト立ち上げにはさまざまな人が参加していて、統括にフェニックス・シーガイア・リゾートのアドバイザーを務める企画プロデュース会社「オレンジ・アンド・パートナーズ」さん、ショッププロデュースに原宿の人気バーガーショップ「The Great Burger」さん、店舗デザインにビーチハウスのデザインを手がける「カリフォルニア工務店」さん、と東京のメンバーも巻き込んだプロジェクトなんです。

—東京クオリティが宮崎に。一ツ葉はどんな空間に?

カリフォルニアのヴェニスビーチのようにサーファーはもちろん、スケーターやランナー、サイクリストなどいろんな人びとが集まって楽しめるような空間づくりを目指しています。

—こんなステキな場所が宮崎にあるんですね!

そうなんですよ。

ぼくがディレクションさせてもらってる青島ビーチパークもバイロンベイのような雰囲気がする空気感になってますし、宮崎には海外にあるような居心地の良いビーチコミュニティをつくり出せるベースがありますね。

—続々とステキなコミュニティができていきますね。

そうですね。

宮崎だと青島や一ツ葉、さらには日向や日南、串間までこうしたコミュニティがどんどんつながって、この辺り一面が居心地の良いコーストラインになっていくとうれしいですね。

それに、そのポテンシャルは十分あると思いますよ。

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movie by osamu goto

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