国境を超えたライフスタイルーLAの若き日本人撮影監督の挑戦

2017.4.17

LAを中心に世界を飛び回るハリウッドの若き日本人撮影監督。多様なカルチャーとともに生きる国境を超えた新時代のライフスタイルに迫る。

国境を超える新時代のライフスタイル

時代の変化を感じ取ってもらうため、これまでさまざまな「マルチライフ」実践者を紹介してきたが、今回は、国境を超え、新時代の働き方・ライフスタイルの実践者を紹介したい。

映画の本場米国で「撮影監督」として活躍する芳賀弘之さんは福岡県出身の32歳。21歳のときに渡米し、シリコンバレーのDe Anza College映画学科やカリフォルニア州立大学ノースリッジ校映画学部・撮影監督学科で基礎を徹底的に学び、卒業後さまざまなハリウッド映画やミュージックビデオなどに携わるなど、新進気鋭の撮影監督として注目を集めている

芳賀さんは現在ロサンゼルス在住ながら、映画撮影のため1年のほとんどを国内外で過ごし、忙しく飛び回る生活だ。

国境を超えて働くということ、さらにはそのようなライフスタイルはどのようなものなのか。若き撮影監督への取材を通じて、グローバルなマルチライフがかいま見えてきた。

プロフィール
福岡県太宰府市出身。1984年生まれ。福岡県私立西南学院大学へ進学し、4年に上がる時に自主退学しシリコンバレーにあるDe Anza Collegeの映画学科に入学。20089月にロサンザルスにあるカリフォルニア州立大学ノースリッジ校・映画学部撮影監督学科に編入する。卒業後、LAを中心に撮影監督として活躍。携わった作品には「Battle For Skyark」(TSUTAYAでレンタル可)や「1万キロの約束」(台湾大作長編映画、ジェイ・チョウ監修)がある。

大学中退、福岡からハリウッドへ 

-芳賀さんは21歳のときに渡米されたとのことですが、大学を卒業されてからすぐに渡米されたのですか。

本当はもっと早く渡米したいと思っていたんですけど、家が教師家庭で、祖母も曾祖母もみんな教師で、映像で食べていけるのかという不信感があったんですね。そこで不信感を払拭し、両親を説得するために地元で英文学で有名な西南学院大学に入学し、成績をキープしつつ文学(いずれ脚本にも繋がるので)と英語を勉強し、映像については学外で経験を積むかたちでスタートしました。

それにその3年間が渡米するためのお金を貯めたり、TOEFLを勉強したりする期間になってちょうどよかったのかなと。

大学在学中は、渡米のための資金を貯めるためバイトしたり、TOEFLの勉強をしたり、アメリカの映像関連の大学を探したりしていました。

基本的に学校探しや渡米資金などは全て自分でやりました。

-大学を卒業してすぐに渡米されたのですか。

結局卒業はしていないんですよ。大学3年まで社会人の映像団体に入っていて、そこでいろいろ映像について勉強していました。

同時に大学3年から就活を始めていたんですけど、ここで大学を卒業して就職してしまうと、アメリカに行くのにまたワンクッション置いてしまうことになると思い、休学して渡米することにしました。

ちょうどそのころTOEFLの点数もアメリカの大学入学レベルに達していましたし、バイドである程度まで貯金もできていて、これなら直接アメリカにいけるなと。

-それが21歳のとき。

そうですね。

渡米して、まずシリコンバレーにあるカレッジで映像関連のことについて2年間学びました。

ただそこを卒業しても、まだ物足りないというか、学びたいことがあって。

学校を探しているうちにカリフォルニア州立大学ノースリッジ校の撮影監督学科というのがあって、これだ!と思ったんです。

アメリカの映像製作の現場では、撮影監督と役職があるんですが、日本にはない役職なんです。

何をやるかというと、カメラや照明の専門知識を持たない映画監督の「こういう感じで映像を撮影したいんだよね」というぼんやりしたイメージを、こういうカメラにこういうレンズを使って、こういう照明でいきましょう、と具体化することが仕事なんです。

日本だと、カメラマンが撮影監督的な立場になるんですが、カメラマンが照明と力関係が横並びで現場でカメラマンの照明に対する意見がまったく反映されないことも多いんですよ。

たとえば、照明の方がベテランの場合、カメラマンが照明をちょっとこうしてほしいといっても、「おれはおれのやり方でやるんだ」となってしまうんです。特に日本の映画だとこういうことがよくあります。

そういう場面を見てきたので、アメリカ独自の撮影監督というシステムのほうがカメラマンと照明の上に立つ立場で統制できるので合理的だし、僕にとってそのシステムがしっくりきました。

-アメリカの大学というと学費が高いというイメージですが、生活費含めどのようにして生計を立てていたのですか。

バイトをものすごくしていました。

アメリカでは、学生がバイトできる時間は週20時間と決まっているんです。

なので学校側にお願いしてバイト許可をもらいました。

バイトをしながら学校の授業を受けていると、自分で映像を撮る時間ってなかなかなくて。ただ、夏休みに入ると授業がなくなる分、映像を撮る時間がつくれて、週に23本立て続けに現場に行って撮影に携わるという生活をしていました。

とにかく時間があるときにやらないとと思い、睡眠時間を削って現場に出向いていたので体力的にも大変だったのですが、おかげでアメリカ人と仕事をする機会が多くなりました。


卒業後はOPTといって1年間だけ合法で働けるビザが下りたので、そこでもいろんなプロジェクトに参加することができました。

アメリカの就労ビザは年々厳しくなっていて、芸術分野も難しい世界で、ほとんどの日本人仲間は帰国してしまったんですよ。

ただ、自分はアメリカ人と一緒にやっていたというのがあって、それがよかったのかなと思います。

LAベースで世界をまたに

-いまは主にLA中心にお仕事をされているのですか。

LAが拠点ではありますが、仕事上映画監督とセットになって動く場合が多くて、一緒にいろんな現場に行っています。

常に仕事を一緒にしている監督が中国、台湾、アメリカ、ヨーロッパ系と6人くらいいて、プロジェクトごとに国が変わるというのはしょっちゅうあります。

2015年は1年の半分を台湾で過ごしました。

現在だと、ドキュメンタリー作品の製作の話がありまして、その撮影の舞台は日本を始めパリ、エクアドル、アメリカまで渡る予定です。

4カ国でお仕事。すごいですね。マルチカルチャーのなかで仕事をするのも楽しそうですね。

いまは4カ国ですが、今後もっと増える可能性もあります。

ただ、LAでいろんな作品が生まれているということを考えると、映像制作に携わる者としてはここをベースとし続けると思います。

この場所で、プロデューサーやディレクターが出会い、「どういう作品にします?」とか「こういう感じでいきましょう」とか、多くの映画がLAから産声をあげているので。

-今後どのような目標がありますか。

やはり大きな賞を受賞したいというのはいつも思っています。アカデミー賞を取って、レッドカーペットを歩きたいですね。

あとは自分自身がまだ意義のある映画に出会えてないので、自分にとって意義のある映画を撮ってみたいと思っています。

-意義のある映画とは

もともとシリアスドラマやメッセージ性の強い作品が好きなので。これは絶対に映像にすべきとか、伝えるべきと思うことを映画として発信したいですね。最近の映画は、エンターテインメント的な要素が強いので。

これからの撮影経験が、将来的にどうしても撮りたい映画、もしかすると給料がなくてもいいかなと思えるくらいのものに出会ったとき、生きればいいなと思っています。

取材・執筆 :

シゲキ的?

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